畑澤聖悟戯曲講座!(第3回2日目)
2011年 03月 01日
昨日に引き続いて、先週末に行われた
畑澤聖悟戯曲講座(第3回2日目)の様子です。
今回のブログ担当は高田伸一さん。
6月に行われるリーディング発表会のことにも触れていただいています。
(すいません、私の仕事でした(汗))
それでは、どうぞ!
(高田さんコメントここから)
畑澤聖悟戯曲講座 第3回目の2日目 平成23年2月27日 日曜日。
午前10時オンタイムで開講。
昨日の続きで「自作のプロット第2稿のプレゼンテーション」。
まず最初に、3月以降の予定の発表、すりあわせから。
予定の目玉はこれ。
畑澤聖悟戯曲講座「リーディング(朗読)発表会」
今、書かれている戯曲を読む会。
場所は「金沢市民芸術村・里山の家」
日付は「6月25日(土)」と「26日(日)」
入場料は無料
「基本的に戯曲講座参加者が、ほぼ均等に出演する公演とする」
「出演者は一部参加者以外からつのってもいい」
「自分の作品には出演しない」
「自分の作品では演出を担当する」
「ト書きは誰か別の人が読む」
といったことがやりとりされていきます。
この公演は、新作脚本の「ショーケース」といったイメージを持っているようです。
畑澤さん曰く「これはイギリスなどではよく行われている」そう。
こういった新作脚本のリーディング・ショーケースが上演されると、
一般客に混じって演劇プロデューサーやアーチストが聞きに来る。
興味のわいた作品の脚本家と交渉をしオーダーを出し、
上演にまで持っていったり、出版したりと、
いろいろと発展させる「スタート地点」「宝物の発掘の場」
と位置づけているようです。
実際、昨日のプレゼンテーションの中にも、
おもわず「それ、いいなぁ」と唸るアイディアや
ひょっとするバケそうな予感のするおもしろいネタが、どの作品の中にも発見されていました。ここから、うまく育つといいなぁ。ああ、育ちてぇ……なんてね。
昨日もなかなか衝撃的な発見があった畑澤講座。
参加者は皆、前回ではすこし曖昧だった「ドラマの設計図」を
より具体化したものへと前進・深化させてもってきています。
その設計図を下に、自作の説明を行います。
さて本日料理するレシピは……。
ひとつは、「命」のことを考えさせる……それも一筋縄ではいかない本格的なもの。
ひとつは「いじめ」をテーマにしたもの……作家自身にとってもリアルな問題。
また、「おとことおんな」「人生」についての詩のような味わいを持つもの。
「昔話」に題材をとって現代に生きる人たちにエールを送る寓話仕立てのもの。
「就活現場」を舞台に現代社会と対峙する不条理性に挑んだもの 。
「もしもの世界を描いた」社会風刺劇風のもの
などバラエティに富んでいます。
プレゼンをする当事者は、一通り自分の作品の説明をします。
説明が終わると、その提出された作品一本一本に畑澤さんと参加者とが、
まさに、ああでもないこーでもないと掴みかかって鍛えにかかります。
畑澤さんの雰囲気や進め方もあってか、ワリと気軽に「意見や感想を言ってみよう」という空気になっています。
これは大きい。現場の局面は刻々と変わります。すっと腑に落ちるモノは騒がず噛みしめる。
議論が百出するものもある。
たぶん「力」をもった引っかかりのある何かを持っているのです。
そこを嗅ぎ取り、より劇的なモノにジャンプできないか、探っていきます。
しかし、なんだろう、これ。
このテンションの高さ。ベタベタしないほどよい距離感。
それぞれが、それぞれの初の読者に観客になり……かなり踏み込んだ印象を述べ、
もしかしたら的外れかもしれない感想が飛び交い、それぞれの思いつきを語る。その様子。
不思議と真摯で和やか。それぞれがちゃんと「劇的」なものに触れようと意識している。
脱線もする。大きなお世話な話もあったり、この部屋ごと迷い込みそうにもなる。
全員が全員にお節介を焼いている。
それを舵取りをする畑澤さんなんだけど……そのお節介、実は無駄ではなく
重要な「脳内シャッフル」の時間だったりする。
誰かが語っている間に誰かが別の角度から思いつく。放り込む。
これ、たぶん部外者が見たら
「朝の早よから集まって、句会をしているような、会議をしているような、妙な集団だなぁ」と、そんな風にもみえているかもしれません。
提示されたそれぞれの設計図を前に、よりおもしろいものが目の前に立ち上がってこないだろうか?
その瞬間に立ち会って「お宝」の第一発見者になりたい、陶酔してみたい。
という期待とか、欲求とか……参加者はみな、そこのところにはどん欲で熱い。
みな普段は普通の人たちなのに、ことこういう「宝探し」になると熱くなる。
いやぁ、おもしろいものです。ゲームに熱中するのに似ているかも。いやぁ、おもしろい。
畑澤さんはもちろんその真ん中にいて、絶対に“捨てない”。
頼れる兄貴分として、ともすれば孤独になりがちな作家たちの傍らに立ち、味方をしてくれます。
迷宮に迷い込みそうになるものを救いだし、
立ち止まりそうなものの背中を押し、
止まったときには一緒に悩み……と、
まさに雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ状態で、どんなクセ球も拾って拾って拾いまくる。
時には「俺ならこうするけど」という劇薬を使うことも厭わない。
止まったボールも上からたたいてバウンドさせてパスを出す。
そんな感じ。
作家たちは、この「熱」を帯びた講師に、脇を支えられ次回に弾みをつけた、という感じでしょうか。
--------------------------------
昔から素人が素人に見せて楽しむ素人芝居が盛んな土地、金沢。
個人的には、こういう場で得た「知識」や「気づき」を自分の劇団に還元し、
作品として金沢の観客相手に問うてみたい。
あくまでやるのは金沢の作家がこの土地の人に。
畑澤さんの立ち位置は、サムライ。七人の侍にみえる。
「熱い」がけっして踏み込みすぎず、あくまで「外様」であることも忘れていない。
潔い。
見えざる観客と作品となる前の曖昧なモノとの間に立ち、
作家それぞれにピタリと決まる“劇的なモノ”をにらみつけようと必死になっている。
さっと作家の横に寄り添い、傍らで作家の見ている風景を一緒に感じ「あとは自分でいけ!」と背中を押す。
という感じでしょうか。
まさに人間力のドラマトゥルク。
(高田さんのコメントここまで)
めちゃめちゃ充実したコメントありがとうございました!
次回は3月12,13日。
いざ!
ドラマ工房ディレクター 井口時次郎
畑澤聖悟戯曲講座(第3回2日目)の様子です。
今回のブログ担当は高田伸一さん。
6月に行われるリーディング発表会のことにも触れていただいています。
(すいません、私の仕事でした(汗))
それでは、どうぞ!
(高田さんコメントここから)
畑澤聖悟戯曲講座 第3回目の2日目 平成23年2月27日 日曜日。
午前10時オンタイムで開講。
昨日の続きで「自作のプロット第2稿のプレゼンテーション」。
まず最初に、3月以降の予定の発表、すりあわせから。
予定の目玉はこれ。
畑澤聖悟戯曲講座「リーディング(朗読)発表会」
今、書かれている戯曲を読む会。
場所は「金沢市民芸術村・里山の家」
日付は「6月25日(土)」と「26日(日)」
入場料は無料
「基本的に戯曲講座参加者が、ほぼ均等に出演する公演とする」
「出演者は一部参加者以外からつのってもいい」
「自分の作品には出演しない」
「自分の作品では演出を担当する」
「ト書きは誰か別の人が読む」
といったことがやりとりされていきます。
この公演は、新作脚本の「ショーケース」といったイメージを持っているようです。
畑澤さん曰く「これはイギリスなどではよく行われている」そう。
こういった新作脚本のリーディング・ショーケースが上演されると、
一般客に混じって演劇プロデューサーやアーチストが聞きに来る。
興味のわいた作品の脚本家と交渉をしオーダーを出し、
上演にまで持っていったり、出版したりと、
いろいろと発展させる「スタート地点」「宝物の発掘の場」
と位置づけているようです。
実際、昨日のプレゼンテーションの中にも、
おもわず「それ、いいなぁ」と唸るアイディアや
ひょっとするバケそうな予感のするおもしろいネタが、どの作品の中にも発見されていました。ここから、うまく育つといいなぁ。ああ、育ちてぇ……なんてね。
昨日もなかなか衝撃的な発見があった畑澤講座。
参加者は皆、前回ではすこし曖昧だった「ドラマの設計図」を
より具体化したものへと前進・深化させてもってきています。
その設計図を下に、自作の説明を行います。
さて本日料理するレシピは……。
ひとつは、「命」のことを考えさせる……それも一筋縄ではいかない本格的なもの。
ひとつは「いじめ」をテーマにしたもの……作家自身にとってもリアルな問題。
また、「おとことおんな」「人生」についての詩のような味わいを持つもの。
「昔話」に題材をとって現代に生きる人たちにエールを送る寓話仕立てのもの。
「就活現場」を舞台に現代社会と対峙する不条理性に挑んだもの 。
「もしもの世界を描いた」社会風刺劇風のもの
などバラエティに富んでいます。
プレゼンをする当事者は、一通り自分の作品の説明をします。
説明が終わると、その提出された作品一本一本に畑澤さんと参加者とが、
まさに、ああでもないこーでもないと掴みかかって鍛えにかかります。
畑澤さんの雰囲気や進め方もあってか、ワリと気軽に「意見や感想を言ってみよう」という空気になっています。
これは大きい。現場の局面は刻々と変わります。すっと腑に落ちるモノは騒がず噛みしめる。
議論が百出するものもある。
たぶん「力」をもった引っかかりのある何かを持っているのです。
そこを嗅ぎ取り、より劇的なモノにジャンプできないか、探っていきます。
しかし、なんだろう、これ。
このテンションの高さ。ベタベタしないほどよい距離感。
それぞれが、それぞれの初の読者に観客になり……かなり踏み込んだ印象を述べ、
もしかしたら的外れかもしれない感想が飛び交い、それぞれの思いつきを語る。その様子。
不思議と真摯で和やか。それぞれがちゃんと「劇的」なものに触れようと意識している。
脱線もする。大きなお世話な話もあったり、この部屋ごと迷い込みそうにもなる。
全員が全員にお節介を焼いている。
それを舵取りをする畑澤さんなんだけど……そのお節介、実は無駄ではなく
重要な「脳内シャッフル」の時間だったりする。
誰かが語っている間に誰かが別の角度から思いつく。放り込む。
これ、たぶん部外者が見たら
「朝の早よから集まって、句会をしているような、会議をしているような、妙な集団だなぁ」と、そんな風にもみえているかもしれません。
提示されたそれぞれの設計図を前に、よりおもしろいものが目の前に立ち上がってこないだろうか?
その瞬間に立ち会って「お宝」の第一発見者になりたい、陶酔してみたい。
という期待とか、欲求とか……参加者はみな、そこのところにはどん欲で熱い。
みな普段は普通の人たちなのに、ことこういう「宝探し」になると熱くなる。
いやぁ、おもしろいものです。ゲームに熱中するのに似ているかも。いやぁ、おもしろい。
畑澤さんはもちろんその真ん中にいて、絶対に“捨てない”。
頼れる兄貴分として、ともすれば孤独になりがちな作家たちの傍らに立ち、味方をしてくれます。
迷宮に迷い込みそうになるものを救いだし、
立ち止まりそうなものの背中を押し、
止まったときには一緒に悩み……と、
まさに雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ状態で、どんなクセ球も拾って拾って拾いまくる。
時には「俺ならこうするけど」という劇薬を使うことも厭わない。
止まったボールも上からたたいてバウンドさせてパスを出す。
そんな感じ。
作家たちは、この「熱」を帯びた講師に、脇を支えられ次回に弾みをつけた、という感じでしょうか。
--------------------------------
昔から素人が素人に見せて楽しむ素人芝居が盛んな土地、金沢。
個人的には、こういう場で得た「知識」や「気づき」を自分の劇団に還元し、
作品として金沢の観客相手に問うてみたい。
あくまでやるのは金沢の作家がこの土地の人に。
畑澤さんの立ち位置は、サムライ。七人の侍にみえる。
「熱い」がけっして踏み込みすぎず、あくまで「外様」であることも忘れていない。
潔い。
見えざる観客と作品となる前の曖昧なモノとの間に立ち、
作家それぞれにピタリと決まる“劇的なモノ”をにらみつけようと必死になっている。
さっと作家の横に寄り添い、傍らで作家の見ている風景を一緒に感じ「あとは自分でいけ!」と背中を押す。
という感じでしょうか。
まさに人間力のドラマトゥルク。
(高田さんのコメントここまで)
めちゃめちゃ充実したコメントありがとうございました!
次回は3月12,13日。
いざ!
ドラマ工房ディレクター 井口時次郎
by artvillage | 2011-03-01 15:49 | ドラマ